盟友との別れ
投稿日:2020.02.04
2月4日 火曜日
弊社の社員にカーメルとゆう、とても優秀な香港の青年がいます。
カーメルは香港人で、大学の時に日本に留学。
そのまま、日本が好きになり日本に住み続けていますから日本語もめっちゃ上手。
話しをしてるとカーメルが香港人だと気付かない人が多いものです。
癖のないイギリス英語もペラペラ。誠に優秀な男です。
弊社で6年半もの間、本当に真面目に勤務しました。
ものすごく献身的に会社を陰で支えました。
ペンキ屋である麻布の業務もさることながら、塗装ボランティアの団体である
塗魂ペインターズの事務局としての仕事も支えてくれました。
その他は日進香港とゆう、あの断熱ガイナで有名な日進産業の代理店の仕事、
香港にある麻布国際有限公司の仕事、多岐にわたる業務をこなしてくれました。
特に塗魂ペインターズの進化系となる
海外でのボランティアを行う塗魂インターナショナルは
塗魂インターナショナルの理事として本当に私を支えてくれました。
海外でのボランティアは、ボランティア先とゆうか
クライアント様を探す第一の行動と現場の打ち合わせやら商材の納品確認やらと、
本番も含め、2回か3回ほど海外の現地に行く事になります。
これは大変な事なのです。
海外のボランティアは特に、このカーメルとゆう優秀な参謀が居たからこそ、
私は海外ボランティアが実現出来たのだと思っております。
この写真は、遠いヨーロッパのリトアニア共和国、
あのユダヤ人の命を救った杉原千畝記念館です。
ボランティアしたあとも杉原千畝ウィークがあり、
そのお手伝いなどでリトアニア共和国に行った時のものです。
カウナス市のエミリア国際部長と、
リトアニア日本大使館の重枝全権大使ご夫妻との写真です。
この重枝日本大使ご夫妻と、エミリア国際部長のお陰で
杉原千畝記念館のボランティアが実現したのです。
本当に苦しかった杉原千畝記念館のボランティア…。
発想から企画、交渉、段取り、実作業など本当に多くの善き思い出となりました。
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これは、日本の優秀なる断熱塗料を暑い暑い香港に広めてやろうかと
3日間のイベントフェアに出展した時の写真です。
このカーメルの右側にいるのが韓国籍のキムさんです。
英語もペラペラの日進産業のキムさんです。
カーメルの左側は香港麻布有限公司のカート董事長です。
私も含めたこの4人で、海外の灼熱の地、極寒の地などを
断熱ガイナで救ってあげようと結束を固めましたが、
何と何と、キムさんが日進産業を辞めてしまったのです…。キムさんcomeback〜!
キムさんの穴を埋める為に、私はカーメルを日進産業へ行く辞令を出したのです。
キム氏が復活したらカーメルも麻布にcomebackです。
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これはグアム島にある戦没者の慰霊塔。
太平洋戦争で亡くなった米国と日本兵らの英霊慰霊碑です。
汚くなった綺麗にするボランティアの交渉時の写真です。
海外のボランティアは10箇所やりましたが、
それ全てにカーメルが同行してくれ最高の通訳をしてくれ、全て実現したのです。
彼が居なければ海外ボランティアなんて、絶対に出来なかった事でしょう。
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左側から麻布の国際部長カーメル、私池田大平、
香港麻布のカート董事長、日進産業のキムさんです。
よく4人で海外の悪環境で苦しむ国々に断熱ガイナを広めようぜ〜と誓いあったものです。
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断熱ガイナの開発者、石子達次郎社長。
2月から麻布のカーメルを日進産業へ移動する辞令を出しました。
ボスが私から石子社長に変わるとゆう事。
断腸の思いにて、そうする事を決めました。
その方が世界の悪環境改善のためになると判断したのです。
ボスが変わるとゆう全く可笑しな辞令…。
でも私は本気の本気。
身を切る思いで、あえてそうしたのです。
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これは私池田大平の娘です。
カーメルには、俺はカーメルの兄であり父だ〜と話して来ました。
もし息子なら、こんな娘と息子との家族写真となりますね。
珍しい写真です。
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これはリトアニア共和国にある杉原千畝記念館でのツーショット写真。
失うモノが多かったボランティアでしたが、盟友カーメルとだけは、
やり切った感で満足満足の苦しいボランティアでした。
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これは沖縄ボランティアのこと。
今まで陰に徹して私を支えてくれたカーメル部長に、麻布から感謝状を出した時の写真。
あまりにも献身的な6年を頂戴しましたからカーメルに会社から感謝状を出しました。
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カーメルのスピーチの風景です。
何時も何時も陰に徹するカーメルに感謝状をお渡しし、カーメルの功績を讃えました。
頭のいいカーメルはの素晴らしいスピーチでした。
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沖縄ボランティアでのツーショット。
気の合う親子みたいなものです。
沖縄は今帰仁の中央公民館ボランティアがカーメルと2人で企画する
最後のボランティア先となりました。
本当に涙涙のカーメルと企画する最後のボランティア先となりました。
愛するカーメル…。
こんな優秀な男とは、もう残りの人生で2度と出会えないでしょう…。
最高の社員でした。最高のパートナーでした。
最高の参謀、相棒でした。
文句のつけよう無し!最高でした。
自身の利を優先するか、世界の悪環境改善を優先するか、
深夜の寝る時にうなされる程に悩み、苦しみましたが麻布からカーメルを離し、
日進産業へ職場を変える判断をしました。
この決断が必ず、正しかったのだと思える時が来ると思います。
こんな優秀な男は、世界で羽ばたく環境下に置いてやるべきなのです。
もう決断したのです、2度と迷うことなかれ…。
明日からは、最高の参謀なしの孤独な池田大平で頑張って参ります。
我が弟であり、我が息子であるカーメルの世界への旅立ちです。
日本語しか話せない兄、親の代わりに大いに世界でご活躍ください…。
愛するカーメル…。
麻太郎